2015年 03月 12日
平田郷陽作・片岡仁左衛門 当時、平田郷陽はこの人形を三つ折れ人形として作ったのかな・・・ 略歴によると、平田郷陽は生き人形師安本亀八(二代、三代)に師事していた父について13歳で人形制作の修行に入ったそうです。この時代に長男で家業を継ぐ二代目としては当たり前のことであろうと思いますが、人形師としての英才教育を受けていたといえます。 21歳(大正13年)の時には父を病で失い二代目を襲名、人形制作で一家八人を養うことになったそうです! 人形制作で一家8人を養うのは大変で、人形に関する仕事は何でもこなしたようです。 当時すでに生き人形興行は衰退し、生き人形は博覧会や百貨店に展示されるマネキン人形となっていました。 22歳の時には女優岡田嘉子の似顔人形制作、 24歳、昭和2年には答礼人形の制作 25歳、京都に滞在し女優の似顔人形を制作、博覧会用のマネキン人形も手掛ける。 28歳の昭和6年1月には代表作の「粧ひ」が完成します。 片岡仁左衛門が作られたのが大正末~昭和初期となっています。 この頃、平田郷陽は女優の似顔人形やマネキン人形を多く制作しています。 歌舞伎役者の似姿を作るのは自然なことであったと思います。 関節構造は球体関節で、ヨーロッパのビスクドールや絵画のデッサン用人形から影響を受けたのだと思います。 膝や足首の曲り方をみると正座できるようになっているようです、 この時代に球体関節人形という名称はなかったと思いますし、 日本の人形の流れを考慮すると三つ折れ人形として作られたのではないかと思います。 #
by pygmaliondoll
| 2015-03-12 17:13
| 人形写真
2015年 02月 12日
『中川多理✦人形展 イヴの肋骨+花迷宮~十二花芯の少女たち』2015年2月6日[金]〜3月2日[月]会場:parabolica-bis http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/02/tari_doll.html … #
by pygmaliondoll
| 2015-02-12 13:53
| 人形展情報
2015年 01月 23日
2015年 01月 22日
2015年 01月 14日
こちらの三つ折れ人形も張り子でできていました。 おそらく明治時代に作られた三つ折れ人形だと思います。 前の江戸三つ折れとの構造的な違いは、 首が独立しています、 胴体がくりぬかれて泣き笛が収められています、 腰と大腿部が繋がっています。 首が単独のパーツになっていて、うなずき、回転がスムースです。 腰と腿が一体になっているのはなぜだろう? 座らせるうえで腿が広がらないで真っ直ぐに座る、ってところかな? 腰との接合部、腹部の穴は動きを良くするために、長円形に開けられています。 なんとなく、関節周りの処理に合理性を感じます。 大正時代の人形で、ビスクドールの関節をコピーしたような、 桐塑、胡粉仕上げの球体関節市松人形とでもいうような人形を見たことがあります。 通常の古い市松人形にはこのような泣き笛が胴体に仕込まれています。 鞴(ふいご)の部分は板と和紙、スプリング部は竹、笛は竹筒に竹のリード、 当たり前ですがすべて手作りです、 この鞴(ふいご)笛だけ作るのも今では一苦労ですね。 どの人形にもその人形を作る職人さんの工夫があるようです。 時代とともに変化します。 #
by pygmaliondoll
| 2015-01-14 16:45
| 人形写真
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