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2015年 03月 15日

雛人形

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十数年ぶりに雛人形を押し入れから出して飾りました。
雛段がないので即席の三段飾り、
人形、道具類も多いので本来は七段飾りかな。
もとは子女の人形遊びのようです、旧暦の3月の節句、今の暦で4月頃に祝ったようで「桃の節句」となったとか、雛人形は日本の人形史を代表する人形です、ゆっくりと楽しみたいと思います。
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内裏雛、親王(男雛)
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雛諸道具、の中でも特に目を引くのが親王の腰に納まる刀、
男目線だと思いますが、
装飾的な刀だろうと思いつつ刀身を鞘から抜き出そうとすると、
抜けた!
刃こそ附けられていませんが金属の質感などかなり巧く作られています。
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内裏雛、親王妃(女雛)
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「雛人形」は、宮中の平安装束を模している。「女雛」の髪型は主に大垂髪(おすべらかし)、平安時代からの垂れ髪形式が江戸時代後期に完成された比較的新しい髪型で、ビン(前髪部分)を大きく張った髪型である
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by pygmaliondoll | 2015-03-15 06:35
2015年 03月 15日

雛人形

随身(ずいしん)、通称右大臣(若者)と左大臣(年配者)、
いずれも武官で、近衛中将または少将、だそうです。
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雛諸道具、
江戸時代享保年間からの一時期「雛は八寸以下、雛諸道具は蒔絵は不可」という時期もあったようです。
ミニチュア好きにとって、本物と同じように作られたお道具類は垂涎の的ですね!
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by pygmaliondoll | 2015-03-15 06:30
2015年 03月 15日

雛人形

三人官女、内一人はお歯黒で眉なしの年長者、
雛人形にも約束事があるのですね。
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五人囃子
謡、笛、小鼓、大鼓、太鼓、能のお囃子を奏でる五人の楽人。
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雛人形の仕丁、従者3人のことですがそれぞれに表情があります。
草鞋を履いてる!
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by pygmaliondoll | 2015-03-15 05:45 | 人形写真
2015年 03月 12日

平田郷陽の三つ折れ人形

平田郷陽作・片岡仁左衛門
当時、平田郷陽はこの人形を三つ折れ人形として作ったのかな・・・


略歴によると、平田郷陽は生き人形師安本亀八(二代、三代)に師事していた父について13歳で人形制作の修行に入ったそうです。この時代に長男で家業を継ぐ二代目としては当たり前のことであろうと思いますが、人形師としての英才教育を受けていたといえます。
21歳(大正13年)の時には父を病で失い二代目を襲名、人形制作で一家八人を養うことになったそうです!
人形制作で一家8人を養うのは大変で、人形に関する仕事は何でもこなしたようです。
当時すでに生き人形興行は衰退し、生き人形は博覧会や百貨店に展示されるマネキン人形となっていました。
22歳の時には女優岡田嘉子の似顔人形制作、
24歳、昭和2年には答礼人形の制作
25歳、京都に滞在し女優の似顔人形を制作、博覧会用のマネキン人形も手掛ける。
28歳の昭和6年1月には代表作の「粧ひ」が完成します。



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片岡仁左衛門が作られたのが大正末~昭和初期となっています。
この頃、平田郷陽は女優の似顔人形やマネキン人形を多く制作しています。
歌舞伎役者の似姿を作るのは自然なことであったと思います。
関節構造は球体関節で、ヨーロッパのビスクドールや絵画のデッサン用人形から影響を受けたのだと思います。
膝や足首の曲り方をみると正座できるようになっているようです、
この時代に球体関節人形という名称はなかったと思いますし、
日本の人形の流れを考慮すると三つ折れ人形として作られたのではないかと思います。

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by pygmaliondoll | 2015-03-12 17:13 | 人形写真
2015年 01月 14日

三折人形3

こちらの三つ折れ人形も張り子でできていました。
おそらく明治時代に作られた三つ折れ人形だと思います。
前の江戸三つ折れとの構造的な違いは、
首が独立しています、
胴体がくりぬかれて泣き笛が収められています、
腰と大腿部が繋がっています。

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首が単独のパーツになっていて、うなずき、回転がスムースです。
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腰と腿が一体になっているのはなぜだろう?
座らせるうえで腿が広がらないで真っ直ぐに座る、ってところかな?
腰との接合部、腹部の穴は動きを良くするために、長円形に開けられています。
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なんとなく、関節周りの処理に合理性を感じます。
大正時代の人形で、ビスクドールの関節をコピーしたような、
桐塑、胡粉仕上げの球体関節市松人形とでもいうような人形を見たことがあります。
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通常の古い市松人形にはこのような泣き笛が胴体に仕込まれています。
鞴(ふいご)の部分は板と和紙、スプリング部は竹、笛は竹筒に竹のリード、
当たり前ですがすべて手作りです、
この鞴(ふいご)笛だけ作るのも今では一苦労ですね。



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どの人形にもその人形を作る職人さんの工夫があるようです。
時代とともに変化します。
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by pygmaliondoll | 2015-01-14 16:45 | 人形写真
2015年 01月 12日

三折人形2

江戸三つ折れ、と呼ばれる三折人形です。
素材は張り子(和紙)に胡粉を塗リ重ねて作られています、

日本髪を結ってお口に笹色紅で化粧された、江戸時代の三折人形です。

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体の構造ですが、足首、膝、股関節、腰、首、が可動する構造です、
肘から手先までは繋がったパーツで、上腕部は縮緬で肩に繋がれています。
関節接合部に穴があり、鯨のヒゲを通して接合されていました。

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同じタイプの江戸三つ折れですが、こちらの人形は髪が落ちてしまっています。
上の写真の人形より大きめで、こちらの人形の方が体がしっかり出来ていて、
安定して動き、座りも良かったと記憶しています。

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構造はこちらの写真が解りやすいと思います。
頭は首からお腹の下部へ紐で繋がれています。

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足の接合部には鯨のヒゲが使われていて、
穴に通して両端を潰して抜けないようにしてあります。

アンティック・ビスクドールの球体関節と比較すると
ゆるい構造で、手に持った時に自然にカクッと動いたり、
膝の動きが正座にこだわった作りになっていたり、
そのあたりが実に日本的だな~と感じます。

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by pygmaliondoll | 2015-01-12 10:34 | 人形写真
2015年 01月 08日

 安本亀八

松本喜三郎と同じ時代に生き、喜三郎のライバルと見られていた生き人形師が安本亀八です。
仏師の家系に生まれ、その道を志しますが、明治維新後の廃仏毀釈運動により仏師の仕事はなく、
人形細工師として身を立てます、
亀八は安政年間「1854~1860」大阪に渡って大和や河内などを巡遊しながら神社仏閣の彫刻などを手掛けています。
三重県にもかかわりがあり、名張市に断続的に滞在し、地元の有力者たちの肖像彫刻を残しています。

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明治初年から本格的な生き人形興行に乗り出し成功をおさめます。
亀八の生き人形代表作が明治23年制作の相撲人形「野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)」です。
《相撲生き人形-野見宿禰と当麻蹶速》は、明治23年(1890)に初代安本亀八が当初、第三回内国勧業博覧会に出品するために制作しましたが、完成が遅れ、後に浅草寺の境内に展示されていたところ、その出来栄えに感動したアメリカ人収集家フレデリック・スターンが購入し、デトロイト美術研究所に寄贈された、現存作品としては、亀八の最大級にして、最も優れた生き人形作品のひとつです。 平成17年に熊本市現代美術館がデトロイト美術研究所より購入しました。

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長男が二代目、三男が三代目亀八を襲名一時期三人で生き人形を制作していた時期もあったようです。
三代目安本亀八は大正の頃世田谷三軒茶屋に工房を構え各国の万国博覧会に出品された風俗人形や菊人形、上流階級の贈呈用人形などを制作します。

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またデパートのマネキン人形も多く制作しています。
伊勢丹、白木屋、松屋などから注文を受けます、
なかでも銀座松屋との関係は深く大正14年の開店記念ディスプレイには歌舞伎役者、女優、芸者など100体近い人形を制作、
松屋はその後も陸軍展、結婚風俗展、日本舞踊展、などの催しを相次ぎ開催し、さらに100体近い人形の制作を亀八に依頼します。
生き人形は百貨店と出会うことによって木戸銭をとって見せる、見世物人形からマネキン人形へとその役割を変えていきました。
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by pygmaliondoll | 2015-01-08 14:00 | 人形回想録
2015年 01月 08日

三折人形 1

日本人形の中でも人形愛好家に好まれているのは、いわゆる市松人形だと思います、
なかでも裸体にして正座のできるように作られた人形が三折人形です。
30年ほど前ですが人形店から修理を依頼された時に資料として撮った写真です。
三折人形にも素材や仕組みにいくつかの違いがあります、
こちらは木彫の丸太三折といわれるタイプです。
人形の作り、着物の仕立など、非常に良くできた極上品でした。
デコッパチ、オカメ顔で愛嬌があって可愛いですね!!


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このタイプの三折人形をしっかり座らせるには、
お尻の下に枕をあてたり、足首を回転させて指先でお尻を支えるようにします。
同じような構造で桐粉で作られた三折人形もありますが、
木彫りということは一点ものということですね。

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by pygmaliondoll | 2015-01-08 12:22 | 人形写真
2014年 11月 11日

松本喜三郎

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              貴族男子像
僕にとって、
現代の人形のルーツを思う時、
江戸時代から明治時代に現れた生き人形の世界はとても重要です。

十年程前になりますが、
熊本市近代美術館で『生き人形と松本喜三郎ー反近代の逆襲』という展覧会が開催されました。
以前から松本喜三郎とその作品、谷汲観音像に強い興味を持っていましたので、熊本まで会いにいってきました。

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          谷汲観音像

松本喜三郎は文政八年 1825年に熊本に生まれ、明治24年1891年67歳で亡くなっています。
明治元年に43歳ということです。
江戸時代の末期まで、日本では仏像を彫る仏師や人形師の時代、彫刻や美術という概念はなく、
等身大の美人や人物の動作や表情の細部にまで再現した『生人形(いきにんぎょう)』というような、写実表現はありませんでした。

生き人形興行は言ってみるならば浮世絵が立体パノラマになった見世物、人形はまるで生きているようで、今にも動き出しそうな人形たちに当時の庶民は熱狂しました。


喜三郎と人形の出会いは町の地蔵祭りでした。7月24日の夕方、町々の地蔵堂には名物の造り物がとりどりに並びます。中でも長六橋以南の迎町と井手ノ口町は造り物の本場でした。ここで圧倒的な人気をとったのが、井手ノ口の喜三郎と迎町の安本亀八でした。亀八は、喜三郎より一歳年下の、生涯を通じて並び称された人形師となります
喜三郎は子どもの頃から手先が器用で十四、五歳で職人町の鞘師に弟子入りします。そこで塗りや錺りを学んだといいます。イロイロな職種の職人として働き腕を磨いたようです。また仕事のかたわら当時の藩主、細川家のお抱え絵師の矢野良敬(やのよしたか) に絵を学んだそうです。
喜三郎の仕事ぶりは鬼気迫る様相で、人形つくりを始めると寝食を忘れて仕事に打ち込んだようです。
喜三郎の人形つくりはモデルの顔のスケッチから始まり、桐材を彫刻して頭部、手、足、の細部まで表現し爪の寸法にまでこだわりました。
その写実主義は徹底したもので、人形つくりにモデルを使い、そのモデルと寸分たがわぬようにするために、頭髪は男女の違いや年齢にもこだわり、同じ年齢の人間の頭髪を使いました、
羽二重に一本一本毛髪を通して裏打ちする『羽二重通し』という手間のかかる方法で植毛し、肌の表現においても当時は胡粉が使われていましたが独特の使い方で、人の肌に近い生きた肌をつくりあげています。
コンプレッサーやスプレーガンのない時代、秘伝の分量で胡粉と膠を調合し、その胡粉液を口に含み噴射して、何度も薄く塗り重ねることで生まれた独特の肌を作り上げたそうです。

喜三郎が20歳頃に造った等身大の明智左馬之助は、桐材で頭部と顔面を刻み、それを二つに割り、ガラスの眼球を内面にはめこみ、再び合わせて素地としたといいます。これに紙を貼って顔料を塗り、頭髪、眉毛、まつ毛を付けて頭部が出来ます。ボディーは、空洞の張り子で、鎧を着せ、陣羽織をはおります。外に見える手の部分は桐材で彫り、顔料で着色します。こうした技法を「掘り抜き細工」といいます。

弘化3年(1846)喜三郎が22歳の頃、近くの薬種商の益城屋の乳母、お秋という美人像を等身大で造ります。実在の人物をモデルにして、本人そっくりに造り上げられたこの人形が、おそらく「生人形(いきにんぎょう)」の始まりだといわれます。代継宮の春祭りでモデル本人と人形が並んで登場したとき、観衆は熱狂しました。
松本喜三郎なる天才人形師の出現でした。



 
 大阪・東京での興行

嘉永5年(1852)大阪で大江新兵衛という人が張り抜き細工の等身大役者似顔人形を興行しました。これが好評で、京都や江戸でも同じような似顔人形が興行されます。このブームを決定的にしたのが、安政元年(1854)2月、肥後熊本出身の松本喜三郎が大阪難波新地で異国人物人形を発表したときのことでした。これが空前の大当たりをとります。その看板に「活人形元祖肥後熊本産松本喜三郎一座」と掲げたことにより、活人形の名前が初めて付けられたといいます。「その容貌活けるが如き」迫真の人形群だったのでしょう。

翌安政2年江戸の浅草奥山で、大阪の異国人物と、象の上に楼閣人物を載せた景、長崎丸山遊女の入浴場面などを加えて興行すると、ものすごい評判になります。興行元の新門辰五郎の知遇を得て、以後はつぎつぎに浅草で新しい出し物を披露していきました。

その後の主な興行は、「浮世見立四八曲」の140体48場面は安政4年(1859)大阪難波にて、万延元年(1860)には江戸浅草で開帳します。「西国三十三ヶ所観音霊験記」は明治4年(1871)から8年まで江戸浅草で5年間の長期興行となりました。明治6年にはウイーン万国博覧会のために造花と骨格見本を出品します。明治8年から浅草では、「東京生人形」「百工競精場」「西郷活偶」「浅草観世音霊験記」を毎年興行します。明治12年から「西国三十三ヶ所観音霊験記」を北陸地方を回って大阪まで巡業しました。同14年大阪で、能の場面を題材にした八場の新作を発表します。翌年熊本で凱旋興行を60日間興行し、18年には熊本本妙寺大遠忌に明十橋際で「本朝孝子伝」を興行しました。

喜三郎のマニアックなまでの情熱は、時代の人間を忠実に映し出すことに注がれました。前人未踏で、独創性に満ちた喜三郎の写実人形は、幕末・明治初期という特殊な時代、近代の黎明期に輝いた大衆文化でした。

喜三郎は明治24年、67歳で亡くなりましたが、その生涯に造り上げた人形は数百体以上に及びます。ところが現在残っている人形は十数点にすぎません。浄国寺の「谷汲観音像」、潮永家の「斉藤実盛像」スミソニアン博物館の「貴族男子」などです、
残された作品から喜三郎は『スーパーリアリズム』の作家であったといえないでしょうか。
今見ることのできる彼の人形表現は、生命力と迫力にあふれる、特異な造形作品だと思います。

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貴族男子像 1878年 スミソニアン自然史博物館文化人類学部蔵

喜三郎は独自の創意工夫によって等身大の人形を数百体作っています。
きっとなんでも自分の手で作らないと気が済まない創作人だったのだと思います。
イメージした人形とその周りの情景を作りだすことにおいて、現代のヒトガタ造形作家と何ら変わらないように思います。
その技量は巧みで、エネルギーはとても大きく、学ぶべきことは多々あります。

創作人形は松本喜三郎から始まったと言えるのではないでしょうか。





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写真・参考文献・「生き人形と松本喜三郎」展図録
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by pygmaliondoll | 2014-11-11 16:31 | 人形回想録
2011年 08月 25日

平田郷陽の人形


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佐倉市立美術館
http://www.city.sakura.lg.jp/museum/index.htm
 〒285-0023
 千葉県佐倉市新町210
 TEL 043-485-7851
 FAX 043-485-9892
 E-mail muse@city.sakura.lg.jp




会期  平成23年(2011)7月16日(土)~8月28日(日)
     一部作品の展示替えあり(前期7/16~8/7、後期8/9~28)
     ※出品作品リストはこちら(前期・後期についても記載)

休館日  月曜日(ただし、7/18(月・祝)は開館し7/19(火)は休館)
      ※節電対策のため追加される場合があります。
開館時間  午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
      ※節電対策のため変更になる場合があります。
主催  佐倉市立美術館
観覧料  一般:800円(640円)/大学・高校生:600円(480円)/
      中・小学生:400円(320円)
      ( )内は、20名以上の団体料金。


歿後30年 -平田郷陽の人形ー時代をリードした天才人形師のあゆみ
遅くなりましたが観てきました。
100点以上の作品が展示されていて、
平田郷陽の生きた時代を追いながら、その人形世界を観ることができました。
8月28日までの展示ですので、ご覧になリたい方はお急ぎください。

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製作途中の作品、イメージスケッチ、本作品を制作する前のネンドでの造形作品、
人形を作る者としては興味深く見る事が出来ました。
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疵だらけの仕事机が語りかけてきます・・・
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帰りにアクアラインを通って、海ほたるで休憩、
久しぶりの海、
東京湾の真ん中から景色を見れるなんて、チョット感激。

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by pygmaliondoll | 2011-08-25 11:43 | 人形展情報